どこかのバンドの新譜を出したのを聞いたら
知ってるバンドであれ知らないバンドであれ
その新譜を全て聞くようにしている。
どこかの知らないバンドが心血注いで作品を生み出したという事実だけで大いなる価値がある。 的な綺麗事が100分の3くらい
あー、こういうの俺もやりたいなって
妙に俯瞰して自分の精神がブレているのと闘ったり、あー、俺下手くそなんだなやっぱり と内心でどん底まで精神を追い詰めた後
闘え死ぬまで、死んでも と自分の中のエレン・イェーガーが盛り返すまでを意識的にやろうとしているのが残りなのだろう 別に快楽性はない。
いい部分を取り入れる、俺も頑張ろうって正の感情、あー、俺よりすげーやつみんな死なねーかなって負の感情どっちも多分本当で、都合よく使うことを誰も何も咎められないんだと思う。
その間で振り回されたり、結局やることやるしかないって結論に至ったりを終えると、人生を贅沢に使えてるのはこの時間なんじゃないかと思ったりする。
この文を考えながらカレーを作っていたのだが野菜を焦がしかけた。
余計なことを考えて目の前の最重要課題をぽしゃってんじゃねーよと目の前の野菜達から言われてるような気がした。 すまん
急いで鍋に水を注いだあたりで何処かの知らないバンドのepが終わり知ってるバンドに変わる。
誰やねんって話だが自分のレコーディング等振り返ると 敬意を払わざるを得ない
これでいいのか?
果たして意味があるのか?味の飴をありとあらゆるところで口に突っ込まれる。
それを乗り越えた結晶が音源だと思ってる。
どんなバンドであれ嫌いでも好きでも
心が平穏であるうちはこう考えておこう、
そう思えない時の方が多いけど、
全ての音楽に幸あれ