或る1人実験体A

リーガルリリーの歌詞を思う。

私は私の世界の実験台

歌詞を作る人の意図を汲み取るのは傲慢であり、あまり意味があると思えないと考えるけれど、刺さってしまったものには意味を求めずにはいられないんだろう。身勝手だ。

人間は自由だ、その気になれば誰かを殺して、犯して、奪って なんだって出来る。

自分の正義 誰かの目 その辺りを考えてやらない、それすらも自分で考えて自分で自由に選択した結果だ。

少なくともあまり人を侵害する人が増えてしまうと外も歩けなくなってしまう、それは困るので、世のすべての人間が面倒を起こさないという選択をしてくれることを祈る。 まじで

人の自由は日常を些細に変化させることで感じることができる。 人生は一度きりだから最後に見ればその選択は決まっていたことのようだが今現時点自分が観測する自分自身に対する日常における実験はきっと素敵だ。

きっと自分の感性なら観なかった映画を知って観る。 あまり話さない人と話す。

食べたことのないものを食べる。

今日も1日より良い実験結果がでるように

些細な変化を楽しんでいきたい。

朝ごはんに食べたことのないパンを食べた。

湿気っていて不味かった。